「シリコンバレー変遷記(下)」では、前回に続き2000年以降のシリコンバレーにおける時代の移り変わりについて、ノバテック株式会社取締役の平 強氏に話を聞きます。

90年代後半、インターネットの普及率が一気に上がりソフト系の技術者の需要が急増。そして、2000年に近づくにつれてソフト系技術者の不足が問題化してきたことは前回お伝えしました。ソフト系技術者の不足は、単にソフト系の会社が増えたからというものではなく、2000年までに解決しないといけない大きな問題があったからです。いわゆる2000年問題と言われる大規模のシステムダウンへの対策。今まで使っていたさまざまな機器のコンピュータシステムでは、データ量を減らす目的などで年号を下二桁で計算していました。それが2000年になったと同時に「00」となりシステムがエラーを起こして停止してしまうという問題です。当時は銀行や各種政府機関で大混乱が起きる、更には飛行機が落ちるのではと大きな社会問題となりました。そこで、取られた対策が外国人技術者の採用です。特定分野で技能を持つ外国人に対して発給するビザを大幅に増やしました。結果、インドや中国など世界各国から多くの技術者が集まり、シリコンバレーは多様な人種が行き交う街となったのです。平氏によれば「結局2000年には特に大きな問題は起こらなかったが、技術者が増えたことでインターネットの発展につながった。」とのこと。2000年問題による意外な効果でした。

ITバブルとインターネット経済の浸透

そして、この2000年前後にはIT関係の企業へ大量の投資が行われました。ITバブルとよばれるこの異常な投資熱により、シリコンバレーも大きな影響を受けます。「ベンチャーキャピタルの投資が今まで1四半期で2000億だったものが突然10倍の2兆へと増え、20、30倍となっていった。金だけ使って何もしていない。実経済に何も結びついていなかった。」と平氏は言います。
当時のバブルのクレイジーさについて例を挙げます。Webvan というベンチャーが大手のVCから500億円近くの資金を調達し、大々的に日用品や食材などの宅配事業をはじめました。トラックを走らせて、インターネット上で注文を受けた品物を指定の時間に配達するものでしたが、結局一年近くトラックがシリコンバレー中を走り回り最後に倒産しました。また、Pets.com が犬猫の餌などを配達するオンラインペット用品販売事業を立ち上げ、こちらも300億円近くの資金を集めていました。しかし、こちらも一年ももたずに倒産してしまいます。これらはバブルのたまもので、継続的な事業として根付く所までいきませんでした。
「結局のところ、多くの人がサービスを使っているのではなく、これからどうやって使っていこうという感じだった。」と平氏は当時の様子を振り返ります。2001年になりITバブルは収束。ITベンチャー企業は一部を除き、多くが倒産に追い込まれることとなりました。平氏は言います。「実経済には結びつかないフェイクな経済だった。ただ、インターネットが大切だということ、インターネットを使う経済の重要性は浸透した。」これ以降、インターネットは更に発展し、シリコンバレーで生まれる新しい技術も様変わりしていくこととなります。

今も続くものづくりの息吹

平氏によれば、近年シリコンバレーでは自動車配車アプリのuberや、宿泊先紹介サイトのAirbnbなど、ビジネスモデルで大きくしていこうという企業が増えたそうです。スーパーコンピューターなど、研究開発に費用や時間をかけて大きく育てていくようなものは少なくなりました。しかし、平氏は「電気自動車やロケットを飛ばして火星に人を送る構想など、ものづくりを基礎とした動きはある。」とも言います。電気自動車を開発製造するテスラモーターズ、ロケットや宇宙船の開発、打ち上げを行うスペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ(スペースX)。新しいものづくりに挑む企業は今もシリコンバレーで積極的に活動しています。日本にも大きな影響を与えるようなイノベーションが、今後もシリコンバレーから発生すると予想されます。日本もそれに合わせて柔軟に対応していかなければなりません。

要約文:
90年代後半、インターネットの普及率が一気に上がりソフト系の技術者の需要が急増。2000年に近づくにつれてソフト系技術者の不足が社会問題化していました。シリコンバレーの技術者の変遷について、「シリコンバレー変遷記(上)」に続き、ノバテック株式会社取締役の平 強氏に話を聞きます。

平 強氏のブログ、「挑戦せよ。」は<こちら

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