「シリコンバレー変遷記(上)」シリコンバレーの技術者の昔と今

半導体、コンピュータ、ソーシャルネットワークと、時代とともにさまざまな新しい技術を生み出してきたシリコンバレー。働いている技術者もその時代ごとに変化していきました。今回も長年シリコンバレーに関わり、現在はノバテック株式会社の取締役である平強氏に、シリコンバレーの技術者の昔と今ということで話をお聞きしました。

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ノバテック株式会社 取締役 平 強氏

 

そもそもシリコンバレーとは、カリフォルニア州サンフランシスコのサンタクララバレーとその周辺のサンノゼ、サニーベール、クパティーノなどの都市を含む地域を指します。1891年に開設されたスタンフォード大学の卒業生が1939年にヒューレッドパッカードを創業。1950年代になると、同大学の敷地の一部に、マイクロ波関連企業をはじめとする、新しい技術を扱う企業の誘致が始まります。1970年代になると、Intel社に代表される半導体関連の企業が多く集まり、70年代中ごろにはこの地域をシリコンバレーと呼ぶようになりました。

70、80年代。半導体産業の隆盛。

70年代の後半に入ると、半導体業界はさらに発展していきます。1976年にはスティーブ・ウォズニアックスとスティーブ・ジョブズがアップル・コンピュータを創業。80年代に入り、電卓やPCなど個人で使用できる電子機器が普及してきます。平氏によれば「70、80年代は4ビット、8ビットのマイクロプロセッサができたころ。そのころのエンジニアは半導体プロセスのエンジニアとデザインのエンジニアが多かった」と言います。その時代にもっとも求められる製品、技術に関連するエンジニアは、当然その製品や技術と同様に需要が高まります。需要が高まればその分報酬も上がる。それでも足りない技術者を補うため、アジアなど世界各国からの技術者の流入も増えたそうです。「デザインはインド系のエンジニア、プロセスは中国系のエンジニアが多かった。だからICはインド(I)とチャイニーズ(C)で動いているなんて言われていた」と平氏は言います。
やがて80年代の後半に入ると、PCの性能が飛躍的に上がりはじめます。1985年には、Intel社の32ビットマイクロプロセッサIntel 80386が登場。1989年には、Intel 80486が登場。1990年代に入るころには会社で各人ごとにPCが置かれるようになり、PCが大きなマーケットに成長していきます。このころ、日米間の半導体産業で競争が激化。マイクロプロセッサやメモリーなど、PCの大きなマーケットが成長していくとともに半導体関連の企業はさらに大きくなります。企業が大きくなれば、多くの技術者が集まることになる。このころのシリコンバレーでは、技術者の働く場の多くは大企業が中心となります。ガレージから出発したアップル・コンピュータも大企業に成長していました。

ハードからソフトへの変革

90年代後半に入ると、PCの性能の向上とともにインターネットの普及率が一気に上がっていきます。1994年にはYahooが、1996 年にはGoogleが創業され、ネットによりさまざまなサービスが始まります。それに伴い、シリコンバレーでもハード系の技術者からソフト系の技術者の需要が増加。技術者の働く環境も大きく変わり始めます。新しいアイデアによるソフトや新しいネット技術、ネットサービスを武器に創業するITベンチャーが多数登場。大企業だけでなく、さまざまな規模の働く場が生まれました。さらに、2000年に入るころにはソフト系技術者の不足が問題化。大量のソフト系技術者を増やす策がとられることとなります。

どのような策がとられたのか、そしてその後のシリコンバレーはどのような変遷を遂げていくのか。平氏の話を交えながら、後半で引き続きお伝えしていきます。

平 強氏のブログ、「挑戦せよ。」は<こちら

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